コロナ禍で、上棟式をやらない、あるいは上棟式のみを行って餅撒きをやらない現場が多くなりました。
でも、こちらのT様邸では上棟式から餅撒きまで行いました。久しぶりの餅撒きでした。
私はこの仕事に就いて40年になりますが、以前の棟上げは、現在に比べたら多くの加勢人たちで、賑やかに行なわれておりました。
若者や元気な男たちが上に乗って梁桁を組み、母屋を乗せ、平木を打って、建方を行っておりました。
仕事というより、お祭りという感じですね。
休憩時間のお茶やおやつが、また豪勢。
10時のお茶には、ぼた餅2個と漬物。
昼食は、ご飯、味噌汁、千切りキャベツに魚フライ、ビールとつまみも付けます。
3時のお茶は、あんぱん、お菓子。
全ては食べきれません。
どこの現場もこの様に決まっておりました。
ですから賄の人も多かったですね。
頴娃地区が最も賑やかだったと思います。男たちの建方の加勢人と、女性の賄の加勢人で200人ぐらいだったと思います。
集落内で棟上げが行われるときは、集落内の皆で加勢に行く(おたがいさま)という、しきたりがあったようです。
沖縄の 「結」(持ち回り制などで行う相互扶助) のようなものだったのでしょう。
また、上棟式もその地域で流儀が異なっております。
一般的には、家主と棟梁でお祓いをして、お酒をおちょこで頂いて直会。その後餅撒き。
知覧の南部から頴娃地区では、餅撒きの前にまず建て主のご主人が屋根の上から大きな餅を投げて、下で待ち構えている奥様に大きなザルで受け取ってもらう。
無事に受け取れたら、来場の方々に撒き始める、というしきたりがあります。
他にも、地域の方々が太鼓や三味線で踊り歩いて慰労会を盛り上げる地域。
餅撒きの前に、家主と大工たちで飲んでから屋根に上がって上棟式を行う地域、など。
そして、夜は慰労会。これがまた賑やか。
遅くまで焼酎を飲んで、酔っぱらって、クダまいて。
若かった私は酔っ払いのおじさんに絡まれたり。
昔は、たいした娯楽も無かったから、棟上げは地域のお祭り的なところがあったのかもしれませんが、
最近では、相互扶助のシステムは、少なくなってきています。
30年ひとサイクルと言いますが、世代交代のサイクルで家づくりも変わっていくのでしょう。