marukawaの沿革
令和5年、会社創業70周年。

この地で建築業を始めて90年。

それはお客様の心に寄り添う家づくりの歴史

marukawaは令和5年に創業70年を迎えました。
これまで多くの方の家づくりに寄り添い、地域の方々との結びつきを大切にして参りました。
この先も住まうひとの幸せな未来を実現していくために・・・
理念と技を継承し、発展、飛躍させるか。
そのためには会社としての歴史を振り返り、ステップアップするための原動力、エンジンをかけることが必要です。

ここで歴史を振り返ってみたいと思います。弊社は昭和の初め頃、大工の棟梁だった川原甚太が川辺町高田で水力で製材業を始めたのが起源です。
当時、山で切り倒した木はその場で樵(きこり)たちが大鋸を使って製材しており、水車の動力を使っての作業は能率の高い手法として注目されました。

2代目の川原豊吉は、送材車による帯鋸製材を取り入れ、材木を大量生産できる体制を整えました。
そして豊吉は昭和28年に建築工事業を興し、marukawa(旧川原製材所)が産声を上げたのです。

当時の住宅は木造床(とこ)づくりが主流で屋根は藁葺きでした。
現在は木材使用比率が40%を切っていますが、当時は80%ぐらいあったようです。
木材が貴重で新材で建てられる家は高価だったため、古い家を買い取ってその材木を使って建てることも多かったようです。
現在構造材の加工は大半がプレカット加工ですが当時は加工機械も少なく、鋸、鉋、ノミなどを使っての手作業が主流で、一人の棟梁に20人ぐらいの弟子がついていたと言われます。

昭和57年、東京で会社勤めをしていた川原和人が家業を継ぐために郷里に帰ってきます。
この頃2代目の豊吉は事業拡大に向け製材工場と本社事務所の移転を計画。
設備資金(借入額は当時の年間売上高と同額ぐらい)を国金の借り入れで賄う予定で事業をスタート。

社員の地道な努力もありますが多くの地域の方々に支えられ、着実に経験を積み上げて今のmarukawaがあります。
昭和から平成、そして令和の時代へ。

さまざまな機会を通して仲間もでき、資格の勉強や新工法採用に取り組んだりと、marukawaの基盤を整えて参りました。
そして今年節目の創業70年。
地域の皆様に支えられてmarukawaの今があります。

私たちが提供するものは「商品」ではなく「考え方」です。
造り手が満足するための建物ではなく、お施主さまのこれまでの人生、経験、価値観が反映された「幸せな未来を実現できる空間」。
建物のための家づくりではなく価値と幸福を感じられる家づくり。

これからも関わる方々の笑顔のため、
そしてものづくりを通して鹿児島のくらしをデザインしてゆきたい。
「想い」のその先へ・・