平成の反省

平成最後の日となりました。

 

平成5年、薩摩半島は台風13号により、甚大な被害が発生。倒木や河川の氾濫、道路の寸断などでマル川建設も通常業務に戻るまで一週間程かかりました。

わが町は激甚災害に指定され、年末から翌年にかけて災害復旧に着手。当時から人手不足。いっぺんに発注された災害復旧工事は、一つの工事が終わっても、まだ何件も残っているような状態が続いておりました。

我が社は当時、土木工事に参入してまだ2~3年だったのですが、災害復旧工事の手持ち工事が常時7~8現場ぐらいあった記憶があります。

 

こんなことから、私にとっての平成が始まりました。

 

平成元年にライオンズクラブ入会、平成3年に商工会青年部長、平成7年には消防団に入団。平成12年には小学校のPTA会長、平成15年に南薩法人会青年部長、など役職をさせて頂きました。地元で活動していくためには、生きていくためには、大なり小なり何らかの地域活動が必要でした。

このような活動は面倒でもありましたが、これらの活動があったからこそ人間的に成長できました。

 

東京からUターン帰省してマル川建設に就職した時、年間売り上げ5000万円、銀行借入5000万円という状態でした。先代社長は返済のめどが立たないことへのストレス解消のために飲んだくれている始末。

この危機を乗り越えて今があるわけですが、特に死ぬほど仕事をしたとか、お金に苦労したという記憶はありません。普通に仕事をこなしてきました。

 

「仕事は続けていくもの、絶対に投げ出さない」、という信念はありました。

 

その後、紆余曲折はありましたが、順調に借金返済も完了。昔は手形の支払期限に振り回されていましたが、今では現金取引。

仕事を任せられる社員や幹部社員も育ってきて、細かいことに神経をすり減らす機会も減りました。

 

これまでに学んだこと、経験したことを次の代につなぐこと、これは私の責務です。

 

 

仕事の手帳は昭和60年11月~現在まで大事に保存してあります。中を確認することはほとんどありませんが、いつか役に立つことがあるかもしれません。

 

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