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会社沿革

マル川建設の沿革

65年、それはお客様の心に寄り添う家づくりの歴史

マル川建設は今年で創業65年。人生ではちょうど定年の年。

さあ、第二の人生をどう切り開くか、どう継承し、発展、飛躍させるか。そのためには会社としての歴史を振り返り、ステップアップするための原動力、エンジンをかけることが必要です。

ここで歴史を振り返ってみたいと思います。弊社は昭和の初め頃、大工の棟梁だった川原甚太が川辺町高田で水力で製材業を始めたのが起源です。当時は、山で切り倒した木は、その場で樵(きこり)たちが大鋸を使って製材しており、水車の動力を使っての作業は能率の高い手法として注目されました。

2代目の川原豊吉は、送材車による帯鋸製材を取り入れ、材木を大量生産できる体制を整えました。そして、豊吉は昭和28年に建築工事業を興し、マル川建設が産声を上げたのです。

当時の住宅は、木造床(とこ)づくりが主流で屋根は藁葺きでした。現在は、木材使用比率が40%を切っていますが、当時は80%ぐらいあったようです。木材が貴重で新材で建てられる家は高価だったため、古い家を買い取って、その材木を使って建てることも多かったようです。今は、構造材の加工は、大半がプレカット加工ですが、当時は加工機械も少なく、鋸、鉋、ノミなどを使っての手作業が主流で、一人の棟梁に20人ぐらいの弟子がついていたと言われます。

昭和57年、東京で会社勤めをしていた川原和人が家業を継ぐために郷里に帰ってきます。この頃2代目の豊吉は、事業拡大に向け、製材工場と本社事務所の移転を計画。設備資金(借入額は当時の年間売上高と同額ぐらい)を国金の借り入れで賄う予定で事業をスタート。しかし、国金の融資決定を待たずに建設に取り掛かったため、融資が通らずにすでに購入済みの資材の手形決済ができなくなる窮地に追い込まれます。倒産、夜逃げの危機に陥りかけた時、なんとか融資に応じてくれた金融機関のお陰で、事業を継続できたと言います。

社員の地道な努力もありますが、多くの地域の人たちに支えられ、着実に業績を積み上げて、今のマル川建設があります。昭和から平成へ年号が変わり、景気拡大の波に乗り、仕事も忙しくなりました。

経営に多少のゆとりもでき、さまざまな会合やセミナーなどに参加して仲間もでき、資格の勉強や、フランチャイズの加入や新工法採用に取り組んだりと、マル川建設の基盤を整えて来ました。そして、今年節目の創業65年。地域の皆様に支えられてマル川建設の今があります。

私たちが創る家は「注文住宅」です。だから、お施主さまのこれまでの人生、経験、価値観が反映された「そにに住まう人のライフスタイルが表現された家」でなければなりません。それを、弊社の職人技と知識、伝統、風土などを織り込みながら実現するのが家づくりです。単に造るのではなく、創造して創るという思いがこもっているのです。それが注文住宅です。

私たちの家は「人」が創ります。工場生産比率の高い住宅(例えば軽量鉄骨住宅など)は、部材の規格化、共通化、現場の標準化など、確かに効率性を重視、品質のばらつきも低いものとなっています。

しかし、「注文住宅」は、間取り、仕様などの打ち合わせ段階では、営業担当、建築士、そして現場が動き出すと現場監督、大工、左官、建材など、数十業種のプロの仕事人が担当します。その仕事人たち1人ひとりの技量の総合力をいかんなく発揮するのです。その技量の総合力こそが一番の強みなのです。逐一お施主さまの声を聞き、思い、心に寄り添う家づくりなのです。

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